2009/11/15 日曜日

クルーグマン先生「リフレ策をなぜ米国に求めないか・・・」

本石町さんのところで、クルーグマン先生が「日本に求めたリフレ策をなぜ米国に求めないのかと言えば…」ということで、クルーグマン先生の「It’s the stupidity economy」の紹介をされていたので、これについて少し個人的に雑感的に思っていたことをちょっと。

私は個人的には、クルーグマン先生はもともとそれほどマジにはリフレ策の実施可能性を信じていなかったと思っています。それよりも学者としての思考実験として言わずにはいられなかったのではないでしょうか(他所の国のことで気楽でもありますし)。欧米、特に米国の学者の場合、南米やアジアなどの国はこの手の「極端な」提言の舞台になることが良くあります。日本などは規模も大きいし、大人しいですから格好の場かもしれません。本国での面倒な政治的論争に巻き込まれることもないですし。

例えば、日本のバブルに関しても、バーナンキ先生は1999年の論文(Bernanke and Gertler 1999)で、日銀が1988年の段階で目標金利を当時の4%から8%に上げていればバブルは未然に防ぐことができたとかお気楽に書いてますし(もちろん、これも実施可能であればそうであったかもしれません。当時の山口副総裁は「インフレが全然ない時に金利を8〜10%にどーやって上げろっちゅーんじゃ」と言ったとか言わなかったとか)、デフレ脱却に関してもロバート・マンデルなんかは最近某女史が言って総攻撃にあった「円・ドルレートの固定」を平気で提案していました。

というところでクルーグマン先生の提案もこのような思考実験的な側面が強かったのではないかと思われるのですが・・・(あの「物言い」ですから、めちゃくちゃマジに聞こえるのは仕方ないとして)

2000年の佐々木スミス三根子氏とのインタビューでロバート・ソロー先生は以下のように言っています。少し無断引用 -

ソロー:デフレが続いているのならば何らかの策が必要だ。わたしの「おとなりさん」のポール(当時ソローとクルーグマンのオフィスはおとなりさんだった)はインフレ期待を作りたがっている。しかし「インフレが起こるという信頼」を植え付けるのはそう簡単ではない。それは彼自身が良く承知している。

佐々木:そうすると、クルーグマン教授自身、日本で今後15年にわたり4%のインフレがあると信じさせるというのは不可能だとわかっていておっしゃっているのですか。

ソロー:無論わかっている。ほぼ不可能だということがわかったうえで言っておるのだ。

ソロー先生の「んなこと当たり前やろ」みたいなセリフがおもしろいです。で、最近の「財政出動派」への「転向」ですが、これは民主党系の学者おしなべて政府への援護射撃もあって主張しており、実際これしかないということもあるのではないかと思います。日本に対してあれだけ「財政支出なんかムダで効かない。減税が最高の政策」とか言っていたポーゼン先生も「財政支出が最高」派になぜか「転向」されてますから・・・(そのポーゼン先生も英国では大人しくされているようですが)

2009/11/11 水曜日

日本の債務で再びガタガタ

政権交代後、民主党政権はいろいろ「見直し」で、ガタガタしているようですが、「見直し」は日本国内だけではなく、国外からの日本に対する目も同様です。

中国などの新興経済の陰に隠れて、ここ数年日本に対する関心は大きく薄れていたので、鳩山政権の誕生とともに「忘れられていた」日本へのスポットライトが回ってきた感じです。折も悪く、世界中の先進国で公債の増大に懸念が高まっていたところなので、日本の公債残高は格好のネタになっています。

めぼしいところでは、投資誌の「バロンズ」の9/26日号でJonathan R. Laingが「Is the Sun Setting on Japan(陽は沈みつつあるのか)」で日本の公債残高が財政破綻のシナリオに近づくとしたエコノミストの見解を取り上げています。

そして、10月中旬にはグリーンライト・キャピタルのDavid Einhornが先進国、特に日本での金利の急上昇の可能性について触れ、「過去になかったからといって、将来もないとも言い切れない」などと述べたところで、一気にさざ波が立ったという感があります(「Einhorn効果なんて言われてます」)。また、それを受けてFinancial Timesなどでも日本の公債残高の問題が何度も取り上げられることになりました。

実際、公債残高がGDPの200%に近づくという水準にもかかわらず、民主党政権の財政赤字や国債に関するメッセージはメチャクチャで見るに耐えないという気がします。

しかし、この手のハナシが出るといつも思い出すのが、5年ほど前に出たDavid Weinstein教授(コロンビア大学)とChristian Broda助教授(シカゴ大、執筆当時はニューヨーク連銀)の論文の「Happy News from the Dismal Science(PDFへのリンク)」です。私もこのブログで大分昔に取り上げたのですが、少しだけ引用すると(元記事はこちら)、

彼らの論文のベースの1つは、政府機関、準政府機関の間での債権債務、例えば日銀や他の公的機関が保有する国債などは公的機関全体の正味で見れば、債務と資産で打ち消し合うので実質的な債務とはならないというものです。この影響を取り除くと、日本の正味の政府債務はGDPの46%になり、これに公的機関が民間セクターに対してもつ不良債権を足して、日本の正味の政府債務はGDPの62%となるというのが彼らの計算です。

(数字は2004年当時のものです。今はもっと高いでしょうが、基本的なロジックは変わらないはずです。ちなみに当時の公債残高はGDPの160-170%くらいだったと思います)

この論文では、「最悪の事態でも、日本の公的債務は課税水準を平均的なEU諸国並みまで上げるだけで持続可能であるとしており、最も妥当な水準としては3%から9%の課税水準の上昇が必要」となっています。こういうことを考えると、ひょっとすると大幅増税を狙うどこぞの役所はこの騒ぎにほくそ笑んでいたりして、と思ったりします(あれだけ大騒ぎしていた「埋蔵金」の発掘も全然進んでいないようですし)。

2009/11/7 土曜日

人民元を何とかせんといかんですたい?

人民元を何とかせんといかんですたい」というような言説が米国でもワリと多く見られます。

「為替は自由経済の牙城」だから「ワシは介入せん」とおっしゃったおじいさまもいらっしゃいましたが、自国通貨をドルにペッグしたらあかんのでしょうか。よう分かりません。

もともと通貨自体は、金利、マネーストックなど、ファンダメンタルに係るパラメーターを各国当局が恣意的にいじってるんで、為替市場は単純に「自由市場」と呼べるようなシロモノではないですし、そうすることが内在的に正しいとも言えません。

政府・中央銀行を合わせて各国当局は、お金の価格(すなわち金利)、マネーストック、あるいは対外的な自国通貨の価値(すなわち為替)のいずれかにターゲットを設けることができますが、このうち1つを決めれば、あとの2つは基本的には市場で決められることになります(一時的には規制などで抑えることができるかもしれませんが)。

米国のような国内消費が主導的な国では、お金の価格(金利)の安定が重視されるのは当然のことです。したがって、米国は為替を口先以外でコントロールすることはできません。

逆に、外需が重要な中国では、対外的な自国通貨の価値(すなわち為替)の安定が重視されるのもまた当然のことです。米国と中国では効用関数が違うだけで、どちらが正しく、どちらが間違ってるというもんではないように思えます。

為替は調節機能なので、中国が為替を対ドルで固定すれば、調節は中国国内の生産性と物価の上昇という形で行われることになります。違いは、為替での調整は瞬時に起こるのに対して、生産性や物価での調整には時間がかかるということです。マッキンノンなんかも、今はどうか知りませんが、為替の大変動で中国がこけても誰も得はしないので、為替の変動を限定して長期的に調整した方が良いというようなことを昔言っていたような気がします(PDF)。わたしも賛成です。

ついでに、為替を固定すると、国内では規制によるもの以外は基本的に金融政策の手は縛られるので「中国(単独で)の出口政策」というのもよう分かりません。

2009/11/3 火曜日

京都とコペンハーゲンの違い

地球温暖化に関するコペンハーゲン会議が迫っており、どうも国際的合意に悲観的な観測が高まっているようですが(私もやや悲観的ですが)、その理由に関しては少し誤解があるようにも思えます。ということで、少しだけコペンハーゲン会議/合意に関して。

コペンハーゲンに対する悲観論で、米国内でも結構多い誤解に「中国やインドが数値目標に合意できないのに、米国が合意できるはずがない」ってのがあります。

もちろん、昔にも書きましたが、米国ではバード・ヘーゲル決議などもあり、おそらく中国やインドが相当な譲歩をしない限り、どのような条約であっても議会で3分の2の多数による批准はほぼ絶対に不可能です(実際、米国上院は、1991年にUNFCCCを批准して以来、いかなる国際的な環境合意も批准していません)。

しかし、オバマ政権は今回、コペンハーゲンの合意をUNFCCCの下での「実施協定(Implementing Agreement)」の位置付けにするように根回ししており、おそらく合意があってもその形になると思われます。「実施協定」の場合は、各国法の範囲を超えることはないため、オバマの旦那が勝手に署名できるわけです。

というわけで、京都議定書というのは、トップダウンでえいやでターゲットを決めて、後は各国で法制上の実施準備をしたわけですが(そして、もともとそれができるわけがなかった/する気もなかった米国のクリントン政権はドロップアウトしたわけですが)、コペンハーゲンの場合は、各国である程度合意できる線まで交渉して、よいしょと「実施協定」を結ぶという、ボトムアップに近い形になると思われます(いや、なるはずだったと思われます)。

さて、ここで本当の問題ですが、オバマ政権は「ワックスマン-マーキー法案」を通しておけば、表面上の削減目標はそこそこの数字なので、それで国際交渉に臨んで、中国やインドに圧力をかけて、数値目標の約束は無理でもペナルティなしのセクター別メカニズムでも呑ませて、「コペンハーゲン会議の合意という大成功」を宣伝できるという作戦だったと思います。

ところが肝心の「ワックスマン-マーキー法案」(上院では「ケリー-ボクサー法案」ですが)の年内成立がやや怪しくなっているようです。これが成立していない場合には米国はほぼスッポンポンで交渉に臨むことになりますから、すでに一方的に20%削減を表明しているEU(条件付きで30%)を除けば、各国は無理して踏み出す必要もなく、(鳩山首相の25%も条件付きですから、各国の足並みがそろわなければ、その半分や3分の1のオファーでも文句を言われることはないでしょう)、コペンハーゲンでの意味のある合意はムリということになる可能性が高いと思われます。

個人的には「ワックスマン-マーキー」はとんでもない欠陥法案だと思っているので、それでも良いかという気もしないでもないのですが、2012年の京都議定書の失効後の国際体制の合意がないという状況もマズいように思われますので(最終的には何かできるんでしょうが)、痛し痒しというところです。