(国際経済に強くなろう)第33号:2003年8月20日発行分:
みなさま、ご無沙汰しています。地獄の論文書きで、またまた大分休んでしまいましたが、お元気ですか?(前回とほとんど同じセリフ、、トホホ)
最近、企業の方々の話などちょろちょろ読んでいて少し気になった事があるんだけど、良く出てくる「グローバル化も良いが、日本的システムの良さを守って云々」とゆーやつ。いつから企業が日本的なるものの守護者になったのか良くわからないけど、そこそこ愛国者(?)の筆者としては、どうもその「日本的なるもの」がどれだけ「日本的」なものなのか気になったりする。
日本のケーエイガクの先生の書いたモノでも、「日本的経営システム」を日本の歴史的文化や価値観に根ざしたモノみたいに論じているのを見たりする事がある(「和を以って尊しと為す」とかね)。歴史の勉強が大事なのはケーザイに関しても同じってことで、今回は「日本的システム」の考察(いつもながらそんな大袈裟なもんじゃないんですが)をやってみよう。
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□ 和を以って尊しと為す??
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大体、日本的システムってゆーと、メインバンクを中心とした金融機関を介した間接金融による安定的な企業の資金調達、「ケーレツ」に代表される元請・下請等の企業群の協力的な関係、年功序列・労使協調・終身雇用をベースとした安定的な組織、そしてそれらが可能とする「長期的視点に立った経営」ってところを指すようだ。
これに対して、非日本的(主に英米のアングロ・サクソン系を指すみたいだけど)システムは、株式・金融市場を介した投資家からの直接金融による資金調達(したがって、市場からの短期的な業績に対する圧力)、条件次第でコロコロ変わる企業間の調達・協力関係、これまた条件次第ですぐ他の会社に行ってしまう従業員に、社員を簡単に解雇する企業に見られる、情けも無ければ安定性もない組織ってところになる。
まあ上のはちょっと単純化しすぎなんだけど、これで「和を以って尊しと為す」なんて解説されると、「さすがは伝統、歴史、文化が違う。そこの者、控えい!頭が高い!グローバルがなんぼのもんじゃい!」となるわけなんだけど、このいわゆる「日本的」システム、聖徳太子どころか、結構新しかったりするんだよ。
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□ アメリカに勝つには??
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1930年代から第二次大戦の終わりにかけて、日本は本格的に国力の全てを戦争のために振向けるようになるんだけど(いわゆる国家総動員体制ってやつね)、今言われている「日本的」システムの骨格が実はこの時代に形成されたってことはあまり知られてなかったりする。
この時代、強大な国力をもつ列強との全面戦争という状態の日本にとっては、各経済主体が互いの競争に力を注ぐなど無駄の極みとゆーわけで、経済活動の競争排除・相互協調・安定化をはかる施策、規制が次々と打ち出される事となったんだ。
なんたって戦争だから、軍需産業への資金の手当ては非常に優先度の高い課題だったんだけど、こんなリスクの高い時代にリスクの高い軍需産業が投資家から十分な資金を調達できるはずもなく、最終的には非軍需産業を含めて、各重要企業に安定的に資金貸付を行う「指定銀行(メインバンクね)」が決められた。
銀行にとってもリスクの高い事ではあったけど、指定から外れることはビジネスの喪失を意味するから、大銀行は指定銀行の座をめぐってはげしく競争することとなったんだ。例えば三菱銀行は第一回目の指定で12、第二回目の指定で38の企業の指定銀行の座を確保、第一回目の指定で2企業と「惨敗」した安田銀行は第二回目の指定で47企業の指定銀行の座を確保している。
労働者と企業間の紛争なんかもとんでもないってわけで、ストライキなんかがご法度になると同時に企業が勝手に従業員を解雇するのも法的に非常に困難となった。従業員一律の初任給、全従業員に対する年一回の昇給、企業別の労働組合(ついでにホワイトカラーとブルーカラーで別々だった組合も統合された)、年功序列等、企業における生産活動の安定化のための従業員平等化の手段もこの時代の産物だ。
政府は生産活動の安定化のため元請企業と下請企業の関係の安定化もはかっている。下請企業の専業化、元請企業による下請産業分野への進出の禁止、指定以外の下請への発注の規制、指定以外の元請企業からの受注の規制等がはかられた(もっとも、これは上の2つに比べると当時はあまり徹底できなかったようだけどね)。
戦後、財閥解体などあったんだけど、これらのシステムはますます精緻化、洗練されて「日本的システム」となって戦後の日本の成長を支えることになったわけだ(戦争と戦後の復興という目的の違いはあるけど、限られた国力を無駄なく優先課題に集中するという意味ではそれなりに優れたシステムだったんだろうと考えられる)。
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□ 戦前の日本的なるモノ??
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こーなると自然に「戦前の日本的なるモノ」はどうだったのかとゆー疑問が湧いてくる。戦後の成長も目覚ましかったが、戦前も鎖国をやめてから数十年で列強の一角に入るほどの成長だったんだからなかなかのモノではある。
1925年以前では、日本企業の資金調達は半分以上が株式・債券による市場からの直接調達であった。1937年には35.5%の資金が株式市場から調達されているのに対し、金融機関からの間接金融は31.9%となっている(これが1944年になると、株式による調達は6.1%、金融機関からの貸付が90.9%となっている)。これを反映して企業統治における株主の発言力もかなり強く、大株主が非財閥系企業の取締役の20%を占めていた。戦時中に配当金が政府によって規制されるまでは、配当政策にも株主の意向が強力に反映されていたみたい。
労使関係に関しては、大不況下の1930年にはこの年だけで約20万人の労働者が約2300件の労働争議に関係し、900件以上のストライキがおこっている。転職、解雇はホワイトカラーであっても日常茶飯事であったようだ。企業間においても、不況になると元請企業は情け容赦なく簡単に下請を切ったし、下請企業も好況になると利益の低い元請企業のための部品作りなどはやめて、利益率の高い完成品を自分たちで作って、元請企業と競争するという有様であった。
まあ、戦争やるには明らかにあんまり向いていないとは言えるけど、戦前の日本のむき出しの若い資本主義がうかがえておもしろい。でも、これっていわゆる「非日本的システム」の最たるモンじゃないかしらん?「日本的伝統」というならば、戦争起源の協調的・統制的経済の伝統だけでなく、こういうワイルドな資本主義の伝統も忘れてはいけないと思うんだけど、いかが?
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□ おまけだ
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ところで戦前のワイルドな資本主義経済で大きな位置を占めていたのが、巨大な資本市場である北浜を背後にもち、経済規模で東京をしのいで当時東洋一の大都会といわれていた大阪だった。当時の大阪の企業家の一典型である阪急の小林社長はすでに統制の強まりつつあった1935年にこんな事を言っている。
「必ず東京の事業には政治が伴っている・・あらゆる有名な会社事業は大概政治の中毒を受けている・・・その点大阪はまことに遣りよい。何ら政治に関係して居らない・・・殆ど政治といふものと実業といふものが分かれて居るためにさういふ心配は少しもない・・・要するにこの政治中心の東京を真似ずして、政治以外に一本調子でやって行く西の方の財界の精神を尊重して行きたいと思ふのであります。」
もし大阪人に当時の自由な資本主義のDNAのひとかけらでも残っているならば、規制緩和、財政再建で脱政治色を深めざるを得ない日本経済で阪神タイガースなみに活躍できるんじゃないかと思うんだけど、、、役人あがりが知事やってるうちはダメかしらん?(小林は戦争中経営手腕を買われて、第二次近衛内閣の商工省大臣となるが統制経済の強化を目指す官僚・軍人と徹底的に対立してたったの八ヶ月で辞任に追い込まれている)
