2010/9/30 木曜日

基軸通貨がスイッチする時

いや、別に早晩スイッチするとは全然思ってないのですが、Barry Eichengreen先生の「ドルの興亡、または米ドルが主要準備通貨として英ポンドに取って代わったのはいつか?(*1)」というのを読んでて少し面白かったのでちょっとメモ。トリフィン先生とかの刷り込みがきつくて、基軸通貨というのはネットワーク効果で「勝者が全部独り占め」になって、「天にニ日なし、市場にニ基軸通貨なし」になるもんだというのが一般的な理解ですが、そーとも限らんという話です。

一般的な常識では、第2次大戦前までは大英帝国のポンドが圧倒的な基軸通貨で、第1次大戦後には英国はすでに米国に経済力で凌駕されていたにもかかわらず、例の「ネットワーク効果」や惰性によって第2次大戦が終わるまではポンドが世界の基軸通貨の地位に「ロックイン」されていたのが、第2次大戦後はさすがに米英の差が開きすぎてスイッチが切り替わるみたいに米ドルが基軸通貨にロックインされたとゆー話になります。しかしながら、この分かりやすい話を裏付けるデータは、実際にはあんまりないそーです。

で、Eichengreen先生とFlandreaus先生のペーパーでは過去のデータを地道に検討しているのですが、それによると米ドルが実際にナンバー1の準備通貨となったのは1924-1926年の時点だということです。しかし、1920年代-1930年代には英米両通貨はほぼ拮抗しており、実際1930年代には英ポンドが再びナンバー1の座を取り戻しているということで、どうも「天にニ日なし」ということではないようです。下は当時のデータが整備されているイタリア、スイス、ノルウェー、スペインの外貨準備を示したものです。

1920GBPUSD.png

ついでに、1920年代以前は、英ポンド、仏フラン、独マルクの「3すくみ状態」だったそうで、Eichengreen先生によるとむしろ第2次大戦直後に米国が経済、金融面で圧倒的であった時期が「異常」だったということになります(戦後の荒廃で、真に流動性があった金融センターはニューヨークだけ、資本規制を回避する力があったのも米国だけで、必然的に各国の準備金はドルが圧倒的にならざるを得なかった)。しかし、少し考えると、現状は1つのカゴにタマゴをすべて入れるようなもので、効率的ではあるかもしれませんが、確かに2-3の準備通貨に分散されている方が安定的なのかもしれません。基軸通貨国もそんなに無茶できないでしょうし。

蛇足ですが、現在の話とのかねあいですこし面白かったのは、1931年の英ポンド切り下げの時のことです。英ポンドがやばいので各国当局は英ポンドを処分するのですが、それは米ドルに乗り換えられたのではなく、逆に米ドルの方も売り浴びせられたという話で(結局資金は金に回った)、先生曰く

議論のために、(英国の問題が米国に飛び火した)1930年代のように、現在の米国の問題に匹敵するような経済、財政問題が欧州に飛び火したと仮定してみよう(このペーパーの時点では米国はベアスターンズ危機のころで、まだユーロの問題は起こってません)。アジアや中南米の中央銀行は1931年に世界各国の通貨当局が英ポンドと米ドルから同時に逃げ出したように、米ドルとユーロの両方から逃げ出そうとするかもしれない。問題は、彼らがどこに行くかだ。1930年代に(英ポンドと米ドルに代わる)第3の選択肢がなかったように、現在も第3の選択肢はない。スイスフランはそれほど流通量がないし・・・・・個人投資家の真似事をして金に行くにも、・・・・ 金はすでに高いし、かつての準備資産の地位はない。

したがって、各国の中銀が米国債およびユーロ債券から逃げ出すとすれば、金以外の実物資産にシフトする可能性の方が高い。例えば、ソブリン・ウェルス・ファンド経由での株式の取得などだ。もし、そうであれば、この影響は米経済や欧州経済にとってそれほど大打撃にはならないかもしれない(いずれにせよ資金が流入するため)。もっとも、各国中銀が米国経済や欧州経済のファンダメンタルな健全性を信頼すると想定すればの話だが・・・

今のところ、米国債への流入は減速しつつも相変わらず高水準ですし、欧州の方も同様なのでここまでは来ていません。おまけに1930年代当時は圧倒的な準備資産として金があったという点も異なっているので単純なパラレルは難しいと思うのですが、Eichengreen先生には何となく座布団を1枚進呈したくなりました。

*1) Barry Eichengreen and Marc Flandreau (2008), “The Rise and Fall of the Dollar,  or When did the Dollar Replace Sterling as the Leading Reserve Currency?” NBER Working Paper 14154

2010/7/19 月曜日

本:自由市場の終わり?とな

EndOf FreeMarket.jpgBremmer

昨日は久しぶりに少し時間があったので、The End of the Free Market(自由市場の終わり)っちゅー少しの間積んどいた本を読んでみました。地政学的リスク・アセスメントで有名なユーラシア・グループのイアン・ブレマーさんの本で、各所で結構話題になってるようです。個人的に好きな人なんであんまり悪口は言えないんですが、日本語だからええか(おいおい)。

まず、売り方があまりよろしくないです。自由市場諸国 vs 国家資本主義諸国、いや煎じ詰めるとアメリカ vs 中国という構図を見せて、これに大層に「自由市場の終わり」とかいうタイトルをつけて、経済システムへの不安とか「中国ずるい・こわい」派の困った人々につけこんで売ろういう雰囲気が満々です。ま、これが上手く当たってるのかもしれませんが。

しかし、書いてるご本人はいたってクールで、だいたい「自由市場が終わる」なんて全然考えてないですし、この本自体の内容もフツーに冷静なものなので、この売り方は出版サイドの意向なのかもしれません。本の売り方が暗示するような、いたずらに声高でセンセーショナルな内容を期待する人向けの本ではないような気がします(評を読んでると意外とそういう風に読んでる人もいるようですが)。

で、中身を超強引にまとめると、

  1. 現在のロシア、中国、サウジなどの国家資本主義というのは簡単に要約すると、市場をすべての個人のための機会実現のための原動力としてではなく、国益に仕える道具であると考えて、国家目標の達成ないしは政治支配者の利益のためのツールとして市場を利用しようとする体制なんね。
  2. んで、最終的には、経済的合理性よりも政治上の目的が優先される結果、コモディティの価格形成が歪んだりして、世界経済全体の効率が阻害されるので、困った影響はあるかもしれん。
  3. しかし、経済的合理性が究極的には二の次になる場合があるとゆーことは、長期的に見れば、経済システムとしては自由市場に匹敵できないとゆーことを意味する。とゆーわけで、100年後には国家資本主義は存在してないかも分からんが、ただ金融危機のあとで市場への信頼が地に落ちてるんで、今後相当の期間において世界中で勢いが増すかもしれん。
  4. その間、自由市場経済諸国は、自らの信条に反して保護主義に走ったり、国家資本主義諸国からの投資に門戸を閉ざしたり、移民を制限したり、気短に相手が飲めるわけのない要求を押し付けていたずらに対立をあおったりしたらあかん。そうではなく、人や資本や情報の行き来を拡大してお互いの経済依存関係を深めることに努めんといかん。

ということになります(希釈率100万倍)。

本当はこの本よりもはるかに精緻なものを書ける人だと思いますが、この手の本を平易に書いて一般向けに売るというのは大変に難しいと思うので、それを考えると、よくまとまってるのかもしれません。

ただ、随所にキレの良いフレーズもあって、例えば

「国家資本主義は、共産主義がかつて人々のイマジネーションに及ぼした影響力に匹敵する力をもつことは決してない。なぜなら、国家資本主義は社会的、経済的な不正義への対抗ではないからだ。(中略)国家資本主義は、政治的なレバレッジと国家の利益を最大化することを目的としており、社会的不正義と戦うことを目的とはしていない。(中略)これらの諸国はグローバル経済から利益を得ることを望んでいるのであり、その解体を望んでいるのではない」

とか、

「国家資本主義は、明確な政治的イデオロギーではなく、一連の統治上の原則でしかないため、国家資本主義諸国同士で完全に利害の一致を見ることはあり得ない。(昔の重商主義と同様)国家資本主義はその究極的な性質上排他的なものだ。中国とロシアという2大国家資本主義国の経済的利害は競合関係にあり・・(中略)・・予想できる将来において、この自然の競合関係により、両国が協力する可能性、あるいは領域を超えて影響力を行使する力は限定される。そしてこれはすべての国家資本主義国に当てはまる」

(つまり、国家資本主義は自由市場に対するアンチテーゼには程遠く、国家資本主義諸国は自由主義諸国に対抗する真の意味でのブロックを形成し得ない)などといったところは中々しゃれた書きっぷりだと思いました。

ここらへんの話題に明るい人には新しく得ることはあまりないかもしれませんが、そうでない人には一般向けとしていろんな地域、事例のネタも色々入っていて、さっと面白く読めます。個人的には5章まではやや事例、逸話中心の構成で少し散漫な印象を受けたのですが、これはブレマーさんも書いてる通り、国家資本主義は見通しの良い明確なイデオロギーではなく、したがって一般論から入るのは困難だという理由もあるかもしれません。というわけで、6章のなかなかキレの良い(しかし、その前の章までの話がないといかにも軽くなってしまう)まとめまで短時間で一気に読んでしまうのがよろしいような気がします。

ついでにブレマーさんに対する日経のインタビューはここで読めます

2008/11/30 日曜日

大恐慌脱出に財政出動は効かなかった・・・

大恐慌からの脱出はニューディールによる財政刺激によるものではなかった・・・

結果として、ニューディールにより開始された新たな支出プログラムは、経済に対して拡大的影響を直接的にはほとんど及ぼさなかった。それらの支出プログラムが消費者および企業のセンチメントにプラスの影響を与えたかどうかという点にも依然として疑問が残る。

第2次大戦に関連した米国の軍事支出も、1941年までは総支出および産出に目に見えるほどの影響を与えるほど大きくはなかった。

えーと、これを書いたのはマケイン氏のアドバイザーのウヨクの経済学者ではありません。

これは、オバマ次期政権下のCEAで委員長を務める予定のクリスティ・ローマー先生がEncyclopedia Britannicaの「大恐慌」の項目に書いたものです。こういうのを見つけるたびに楽しくなってしまいますが、本当にオバマ氏が何を考えているのかナゾです。まぁ、皆さん優れた経済学者ですから、オバマ氏も良くお話を聞いて欲しいものです。

2008/10/28 火曜日

気狂いピエロ、じゃなかった気狂いサルコジさん・・・

EU-15の会議にユーロとは「よそ者」のブラウンを引っ張り込んで救済策をまとめたと思ったら、どう見ても不可能なEUの「経済政府」構想をぶちあげたり、G8議長国の日本なんか完全に無視して金融危機サミットの開催をブッシュに押し付けたり、相変わらずのサルコジさんですが、この超はた迷惑なおじさんに興味のある人にはなかなか面白いのがフランスの劇作家/脚本家のYasmina Reza女史が書いたL’aube le soir ou la nuit(英題:Dawn, Dusk or Night)です。

これは大統領を目指していた時のサルコジを描いた本ですが、別に政治ドキュメンタリーでもなく、当時のフランスの政治状況や背景に対する説明もなく、大統領の座を目指すとんでもない1人のおっさんの色々な情景を大した脈絡もなくモンタージュ的に組み合わせた本で、何となくフランス映画の脚本のようです。

Yasmina Reza女史はこの本を書くために、サルコジの選挙会議や、個人的な会合、他国の元首との会議にまでアクセスを認められたそうです。

フランスのレバノン大使を「阿呆」と罵り、「あいつに電話をしてそう伝えろ」と叫ぶシーン。選挙戦で「サルコを大統領に」というプラカードを持った群衆を見て、後ろの選挙スタッフを振り返り「この阿呆どもにこんなものを持たせて叫ばせたのはどいつだ?どいつもこいつも何にも分かってない!あぁ神よ!神よ!全くどうしようもない。俺1人きりでやってるほうがよっぽどマシだ」と嘆くシーンや、選挙戦の勝利が近づいてきて「俺はパリの宮殿、ランブイエの城、ブレガンソンの砦を手に入れるぞ!これが人生だ」と語るシーンなど、この本が映画的だと思えるのは、やはりサルコジの存在が「映画的」であるということも1つの理由です。

あるシーンでサルコジは「過去なんて俺には関係ない。俺に興味のあるのは今日の午後、そして明日だけだ」と言っていますが(現在にすら興味がないようです)、本を通じて浮き出るイメージは、自分でも何か分からないものを狂おしいほどに追い求め続ける、特異で孤独な人物の姿です。大統領になり、エリゼ宮の主になったサルコジは「満足だ」と言いながら「しかし、楽しくはない」と続けています。連番が決まっているEU大統領職の期間を延ばそうと画策して失敗したというウワサが最近流れていますが、十分ありそうなことです。

筆者はインタビューで「彼は悲劇的な性格で、自己破壊願望のある人物だと思う。選挙戦中は分からなかったけど、今では彼は自己破壊の強い能力を持っていると確信している」と述べています。しかし、遠くで見てると面白いですが、こんなおっさんと仕事するはめになったら日本人のほとんどは心身症になるんじゃないでしょうか。

2007/8/1 水曜日

政治の脳みそ:Political Brain

今、米国の民主党関係者の間で良く読まれている本が、The Political Brainというやつです。(ところでこの本は米国のアマゾンではとっくに売ってますが、日本ではまだ予約のようです。変ですねぇ)。

この本はビル・クリントンやハワード・ディーンが言及してから一気に話題になったようで、著者はエモリー大の心理学教授で、政治的な情報が脳内でどのように処理されているかを研究している脳神経学者のグループの研究主任でもあります。

本の内容は簡単に言うと、「そんなこと当たり前じゃ・・」というような事なんですが、この本では、有権者が投票する政治家を選ぶ際に使用されている脳ミソは、理性や論理を司る部分ではなくって、脳の中ではもっと古い感情を司る部分であることを研究から示して、選挙で勝つには、政策などで理性や「アタマ」に訴えるのではなく、EQを使ってエモーションに訴えなきゃだめよん、ってなことがいろんな選挙キャンペーンの実例を踏まえて書いてあります(ってラフ過ぎな要約ですが・・・)。

民主党きっての政策通だったクリントンがこんな本を同僚に勧めているのも可笑しいですし、「そうだったのか」なんて言ってる民主党の方々を見てると「おいおい大丈夫か」って気もしますが、前の副大統領が「The Assault on Reason」なんてのを書いてるとこ見るとやっぱり彼らにはショックなのかもしれません。

ただ、こういうのは一種の才能のような気がするので、多分クリントンやオバマには全く読む必要のない本でしょうし、読む必要のある人が読んでも実際にはあまりどうにもならんような気もします(ヒラリーくらいならなんとかなるかもしれませんが)。例えば小泉前首相には読む必要はないでしょうが、安倍首相が読んでもおそらく全然駄目ではないかと思われます。