クルーグマン先生の「The Conscience of the Liberal」は、日本では「格差はつくられた―保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略」(笑)というすごい名前で売られているようですねぇ。
で、中身ですが、人間年を取ると保守的になったり、ノスタルジックになるもんですが、クルーグマン先生のような「万年ガキ大将」でもそういうことがあるのか、と少し思ってしまいました。
基本的に、貧富の差の拡大の原因は、世間で言われているように技術革新や人口動態の変化だけではなく、(ウヨク保守派の反動による)社会規範や経済政策の変化によるものだと主張されておられます。それには正しい部分も少しはあるとは思うのですが。しかし・・・
しかし、クルーグマン先生が「あの頃は良かったなー」とおっしゃっているのは、いわゆる米国の戦前、戦中のいわゆる「米国版国家総動員体制」のしがらみが大きく残っていた時代であり、その時代の暗い部分をまったく無視しているという点で、これまた極めて「政治的偏向の書」と言われても致し方ないと思います(例えば、輸送、エネルギー、農業などでは、戦後も長期間にわたって厳しい規制がひかれていましたが、その原形が形成されたのは大体1930年代です)。
当時の「アングロサクソン中流」の平等を支えた競争抑制のメカニズムには、マイノリティーや新興企業の進出による競争激化を抑制するメカニズムとしての人種差別や男女差別、移民の制限、少数の大企業による市場の寡占の強化なども大きく寄与していたはずですが、これらの事は触れられていません(もちろん組合もこれらのメカニズムの維持に大きい役割を果たしていました)。
クルーグマン先生が「良かった」と言われている時代には、移民、有色人種、女性などを含む「マイノリティ」や、小企業を抑圧し、排除する事が社会的に容認されていました。それが「良かった」頃の社会的規範の一部であり、貧富の格差の抑制に大きい役割を果たしていた事も忘れておられるようです。移民は1965年まで国ごとに制限がありましたし、1952年まではアジア人の移民は禁止されていました。
そしてこれらのメカニズムが破壊された大きな要因の1つには、これらの「マイノリティ」や、スタートアップ企業などによる経済的自由への希求と「平等な中流白人男性エスタブリッシュメント」や「大企業の支配する市場」に対する分け前の要求と挑戦、そしてその成功があったはずです。
先生によると、競争の激化や、貧富の拡大は、「ウヨクの保守的ムーブメント」のせいらしいんですが、これにも一理はありますが、二理はありません。それどころか競争の激化をもたらした「社会的規範」の変化をリードしたのは多くの場合リベラルの政治家だったということも忘れておられるようです。
移民を自由化した1965年の移民および国籍法をリードしたのはエドワード・ケネディです。1978年の航空規制緩和法、輸送業界の規制緩和の1980年の自動車運送事業者法をリードしたのもケネディです。これらに署名したのはジミー・カーターでした。カーターは天然ガスの価格規制も撤廃し、鉄道の規制撤廃のスタガーズ鉄道法にも署名しています(スタガーズも民主党議員でした)。
グローバル化にしても、ケネディラウンドがまとまったのは民主党のリンドン・ジョンソン大統領時代、東京ラウンドはジミー・カーター、ウルグアイ・ラウンドはご存知のクリントンと、すべて「リベラル派」の大統領の時代です。レーガン時代の金持ちの税率の引き下げにしても、もともと法案を提出したのはビル・ブラッドレーとリチャード・ゲッパート(2人とも民主党)だったはずです。
まぁ、面白い本で読むべき部分はあるのですが、どうも党派的信条に合わせて歴史の一面のみを単純化して強調した「プロパガンダ」本という色彩が強い点で、先生の本としては「駄作」ではないかと思います(最近そんなんばっかりですが)。しかし、GMの破綻なんかでメローになって「あの頃は良かったよなぁ」なんて思ってる層を狙ったんでしょうか、そうだとしたら「反動」は先生の方だったりして。
